東京ヤクルト 思い出に残る外国人選手トップ10(4位)
メリー・クリスマス!
今日はクリスマス・イブですね。独身の頃は洒落たレストランに彼女と行っていましたが、子供が生まれてからは常に「家飯」のパラドックスです。すでに昨晩チキンを食べてしまったので、今日は普通の夕食でしょうね。実はこっちの方が好きだったりするんですけど。
それでは「思い出に残る外国人選手トップ10」の第4位を発表します。
(番外編・10位~5位までの記事はこちら 番外編、10位、9位、8位、7位、6位、5位)
ドゥルルルるる~♪ ドゥルルルるる~♪
第4位は「ボブ・ホーナー」
出ました赤鬼。(顔がいつも赤みかかっていたので、そのようなアダ名がついた)1987年に来日し、わずか93試合にしか出場しませんでしたが、そのセンセーショナルな活躍にヤクルトファンのみならず、プロ野球ファン全てが驚き、その時起きた「黒船」旋風は今でも忘れることが出来ません。
ヤクルトでの初出場試合で、HR1本、2試合目にはHR3本、4試合目にHR2本(3試合目はほぼ敬遠)となんと4試合で6ホームランをかっ飛ばす打棒で、連日各スポーツ新聞の大見出しが「ホーナー」「黒船」「赤鬼」。
まだネットが無い時代でしたが、今ならヤフーニュースのトップで連日話題になり、野球ファン以外にも大ブームになっている間違い無しのデビューでした。
何と言ってもこのホーナー。来日前年までメジャーのアトランタ・ブレーブスで4番をうち、打率.273、27本塁打を記録している、バリバリのメジャー選手。近年では楽天でプレーしたA・ジョーンズが超大物として脚光を浴びましたが、来日前年にマークしたメジャーでの成績は打率.197、14HRと既に全盛期(.263、51HR)をかなり過ぎた状態での来日。ここまで来日直前までメジャーで好成績をあげての来日は、ダイエーにいたケビン・ミッチェル(.326、30HR)くらいでしょう。
前半戦は打ちまくったものの、途中からは腰痛など怪我が多く、結局規定打席にも未達。翌シーズンにはメジャーへ舞い戻ってしまいました。
そもそもなんでこんなメジャー選手が日本に来たのかというと、メジャー選手の年俸高騰による労使交渉が発生し、FAを取得した選手が閉めだされたという経緯があったのです。そうでもなければ、来日しなかったでしょうね。わずか1年とはいえ、まだファミスタでくらいしかメジャー選手の実力を図る尺度がなかった当時の日本の野球ファンに、「メジャーはやっぱり半端ねぇ~」と鮮烈な一撃を食らわすのに十分なインパクトでした。
ちなみにこのホーナーの年俸は3億円。今なら日本でも驚かない金額ですが、当時の日本人選手のトップであった三冠王・落合博満で1億3000万ですから、破格であったのは間違いありません。シーズンオフには3年15億の契約を提示したものの断られたそうです。
日米の年俸格差を考えるとこれほどの大物が全盛期に来日することはもうないでしょう。だからこそホーナーのいた1年は心に残り続けるのかもしれませんね。
年度 | 球団 | 試合数 | 打席数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打数 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
1987 |
ヤクルト | 93 | 355 | 303 | 60 | 99 | 15 | 0 | 31 | 207 | 73 | 0 | 0 | 0 | 1 | 50 | 3 | 1 | 65 | 9 | 0.327 | 0.423 | 0.683 | 1.106 |
次回からはついに表彰台に上る選手の発表です。お楽しみに~。
ではまた。