東京ヤクルトを応援するブログ+α

親子で応援している東京ヤクルトスワローズの試合内容、編成等について自由気儘に書いています。

東京ヤクルト 思い出に残る外国人選手トップ10(番外編)

こんにちは。

 
契約更改が終わり、年末年始がグッと近づいてきた気がします。ストーブリーグのニュースもだいぶ少なくなってきましたので、今回からは独断と偏見で選んだ、思い出に残る外国人選手トップ10を発表していきます。
 
まず第一回目は惜しくも選外になった選手を紹介。トップ10には入りませんでしたが、個性的な選手達で、皆さんのご記憶にも残っているのではないでしょうか。
 

レックス・ハドラー

1993年のわずか1年しかプレーしませんでしたが「みみず男」としてインパクトを残した選手です。みみずや昆虫などゲテモノを食べるという記事が紙面を賑わせていましたね。ポジションはセカンドで、守備は上手くありませんでしたが、セカンドとしてはバッティングがよく、3割14本塁打の成績を残しました。ちなみに彼の主な打順は8番!いやはや、黄金期の打撃陣凄すぎです。
今ならこの成績を残せるセカンドを欲しがる球団は山ほどあるのではないでしょうか。
日本シリーズで西武の石井丈裕と対戦している動画がyoutubeにアップされています。2:28頃からハドラーが登場。

www.youtube.com

年度

球団 試合数 打席数 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打数 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS

1993

ヤクルト 120 454 410 48 123 26 3 14 197 64 1 4 1 4 32 7 7 77 13 0.300 0.358 0.480 0.838

 

セス・グライシンガー

いやー彼は本当にいいピッチャーでした。ヤクルトに入団した先発投手としてはトップの成績だったと言っても過言ではありません。豪速球を投げるわけではありませんが、兎に角コントロールが良く、来日一年目でいきなり最多勝のタイトルを獲得しました。願わくばヤクルトで長くエースとして活躍して欲しかったのですが、巨人の強欲時代真っ盛り。あっさり2年目には移籍をしてしまいました。結局巨人で4年、ロッテで2年、計7年NPBでプレーしました。

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 打者 投球回 被安打 本塁打 与四球 敬遠 死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率 WHI

2007

ヤクルト 30 30 3 2 2 16 8 0 0 0.667 835 209 185 14 31 2 4 159 7 1 70 66 2.84 1.03
2008 巨人 31 31 0 0 0 17 9 0 0 0.654 842 206 201 20 31 0 9 167 3 0 75 70 3.06 1.13
2009 25 25 1 1 0 13 6 0 0 0.684 675 161 173 11 26 0 5 91 4 3 77 62 3.47 1.24
2010 6 6 0 0 0 0 2 0 0 0 96 21 31 5 1 0 1 16 0 0 14 13 5.48 1.5
2011 9 9 0 0 0 1 5 0 0 0.167 212 47 52 2 18 0 2 33 0 1 22 22 4.15 1.47
2012 ロッテ 25 25 3 1 2 12 8 0 0 0.600 666 168 144 5 24 0 5 112 3 3 52 42 2.24 1
2013 13 13 0 0 0 5 4 0 0 0.556 303 71 75 8 15 0 3 52 1 1 39 36 4.54 1.26
 

 

□ホアン・アイケルバーガー

1989年にストッパーとして来日したこの人を覚えている人はかなりのヤクルト通でしょう。巨人との開幕第二戦、9回同点の場面で初登板し、いきなり無死満塁のピンチを作り、迎える4番原の打席で暴投サヨナラ負けを喫しました。当時私はまだ巨人ファンで「ヤクルトほんと弱ぇなぁ」とバカにした記憶が鮮明に残っています。ヤクルト低迷期を象徴するような選手でした。

流石にこのシーンは動画に残っていませんね。

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 打者 投球回 被安打 本塁打 与四球 敬遠 死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率 WHI

1989

ヤクルト 8 0 0 0 0 0 3 0 -- 0 39 7.2 9 0 7 1 0 6 2 0 6 6 7.04

2.09

 

 

□テリー・ブロス

 ヤクルト黄金期を支えてくれた長身のパワーピッチャー。来日一年目から防御率のタイトルを取り、14勝を挙げました。2年目以降は成績を落としましたが、先発に救援とロマンのような働きをしていました。彼のような投手が今のヤクルトに入ってくれたら、連覇も夢ではありません。

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 打者 投球回 被安打 本塁打 与四球 敬遠 死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率 WHI

1995

ヤクルト 32 24 5 3 0 14 5 0 -- 0.737 646 162 114 6 57 0 3 139 9 1 43 42 2.33 1.05
1996 23 21 2 1 0 7 # 0 -- 0.368 571 137 115 16 43 1 3 97 5 0 61 55 3.61 1.15
1997 23 21 0 0 0 7 8 0 -- 0.467 524 115 129 16 56 0 0 89 5 1 73 64 4.99 1.6
1998 西武 11 7 0 0 0 2 3 0 -- 0.4 179 45 35 9 23 0 1 28 3 1 28 27 5.74 1.28

www.youtube.com

 

レオン・リー

今回最後に紹介するレオン、オールドファンは必ず知っていると思いますが、まだ知らない方はまず成績表を見てみて下さい。

年度

球団 試合数 打席数 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打数 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS

1978

ロッテ 128 500 471 59 149 26 6 19 244 73 6 2 2 1 20 0 6 74 17 0.316 0.351 0.518 0.869
1979 128 530 484 77 147 21 1 35 275 93 4 1 0 3 39 5 4 66 21 0.304 0.358 0.568 0.927
1980 128 545 486 85 165 22 0 41 310 116 2 2 1 5 47 3 6 48 19 0.340 0.401 0.638 1.039
1981 107 441 395 50 119 17 0 13 175 62 1 3 1 5 39 3 1 41 14 0.301 0.361 0.443 0.804
1982 128 524 481 50 136 22 0 22 224 78 0 3 0 4 37 2 2 65 20 0.283 0.334 0.466 0.800
1983 大洋 128 543 472 83 136 27 1 30 255 98 1 3 0 5 64 5 2 68 16 0.288 0.372 0.540 0.912
1984 130 550 480 66 154 25 1 21 244 84 6 2 0 5 65 8 0 60 23 0.321 0.398 0.467 0.866
1985 128 546 462 65 140 21 0 31 254 110 6 3 0 7 74 10 3 77 11 0.303 0.397 0.550 0.947
1986 ヤクルト 130 547 483 73 154 19 0 34 275 97 2 1 0 5 57 14 2 79 17 0.319 0.389 0.569 0.959
1987 120 492 453 60 136 14 1 22 218 73 0 0 0 2 37 4 0 60 19 0.300 0.352 0.481 0.833
通算:10年 1255 5218 4667 668 1436 214 10 268 2474 884 28 20 4 42 479 54 26 638 177 0.308 0.372 0.530 0.902

 

ロッテ、太洋(現DeNA)からヤクルトに入団しました。どこのチームでもコンスタントに3割、20~30本塁打を打つ優良外国人選手でした。兄のレロン・リーもロッテで長く活躍し、通算打率.320という驚異的な成績を残しました。

二人とも成績的には文句のつけようのないものでしたが、在籍したチームが兎に角弱かった。ロッテ、太洋、ヤクルトといったら、最下位争いの常連で、タイトルホルダーは出してもチームとしては全く機能していない状態でしたから。阪神のバースや西武のデストラーデなどチームを優勝に導くようなシーズンが一度でもあればもっと記憶にも残る選手だったのではないかと思います。

画像は太洋時代に録画された珍プレー好プレー集が残っています。

www.youtube.com

 

まだまだ紹介したい選手が沢山いますが、今回はここまで。

次回からはトップ10選手を紹介しますのでお楽しみに!

 

ではまた。