東京ヤクルト 思い出に残る外国人選手トップ10(3位)
こんにちは。
素敵なクリスマス・イブを過ごされましたでしょうか。我が家の長男は朝6時に起きてきて、クリスマスプレゼントが希望の任天堂DSだったことに大喜び。以前に自分がプレーしていた記録が残っていることにやや疑問を持ったようでしたが、まさか捨てられてしまったDSだとは思わないようで、未だにサンタクロースを信じているようです。小学1年生ってまだこんなもんですかね。「サンタクロースって、お父さんだったの!」的なリアクションを期待していただけにやや拍子抜けの今朝です。
さて、「思い出に残る外国人選手トップ10」の第3位を発表します。
(番外編・10位~4位までの記事はこちら 番外編、10位、9位、8位、7位、6位、5位、4位)
ドゥルルルるる~♪ ドゥルルルるる~♪
第3位は「ジャック・ハウエル」
1992年・1993年、ヤクルト史上唯一となっているセ・リーグ連覇の立役者となった左打ちの強打者。特に1年目は打率.331、38本塁打と首位打者と本塁打王のタイトルを獲得し、セ・リーグMVPに輝く活躍を見せてくれました。2年目は前年よりも成績を落とすものの、勝負強い打撃は衰えず、今でも最多記録となっている年間サヨナラ本塁打5本を打ちました。
私にとって一番印象的だったのは、1993年の日本シリーズ第一戦。西武のエース工藤(現・ソフトバンク監督)から初回にスリーランホームランをぶち込んだシーン。
1990~1992年の西武には日本シリーズの第一戦、第一打席で3年連続本塁打を記録したカリブの怪人・デストラーデがいました。「今年こそは西武を倒すぞ!」と気勢を上げるセリーグ球団の出鼻を次々とくじく一撃は、点数以上に「今年もダメか・・・」と思わせる精神的なダメージを与え続けていました。
その西武に、煮え湯を飲ませたハウエルのホームラン。「今年こそいける」とヤクルトのメンバーを勇気づけ、それと同時に80年代から続いていた西武黄金期の終焉を知らせる一撃となりました。
再生直後にハウエル。打った瞬間の映像は入っていませんが。
1992年・1993年は2年連続でヤクルトvs西武の対戦で、「野村監督vs森監督の智将対決」、「古田vs伊東の新旧名捕手対決」と見どころの多い日本シリーズで、もう一度見てみたい試合が目白押しです。
ハウエル自身は3年目に大きく成績を落とし、翌年には巨人に移籍するも芳しい成績を残すことなく日本から離れました。
年度 | 球団 | 試合数 | 打席数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打数 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 敬遠 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
1992 |
ヤクルト | 113 | 435 | 387 | 67 | 128 | 21 | 1 | 38 | 265 | 87 | 3 | 3 | 0 | 1 | 41 | 2 | 6 | 86 | 10 | 0.331 | 0.402 | 0.685 | 1.087 |
1993 | 121 | 495 | 396 | 72 | 117 | 15 | 1 | 28 | 218 | 88 | 3 | 1 | 0 | 8 | 86 | 6 | 5 | 83 | 8 | 0.295 | 0.420 | 0.551 | 0.971 | |
1994 | 105 | 431 | 363 | 54 | 91 | 14 | 0 | 20 | 165 | 56 | 4 | 7 | 0 | 3 | 62 | 4 | 3 | 74 | 5 | 0.251 | 0.362 | 0.455 | 0.816 | |
1995 | 巨人 | 66 | 258 | 219 | 35 | 61 | 10 | 0 | 14 | 113 | 41 | 1 | 1 | 0 | 0 | 37 | 2 | 2 | 66 | 2 | 0.279 | 0.388 | 0.516 | 0.904 |
NPB:4年 |
405 | 1619 | 1365 | 228 | 397 | 60 | 2 | 100 | 761 | 272 | 11 | 12 | 0 | 12 | 226 | 14 | 16 | 309 | 25 | 0.291 | 0.395 | 0.558 | 0.952 |
1992年の日本シリーズではあまり活躍出来ず、1993年にリベンジを果たしたハウエル。バレンティンも今年の雪辱を来年の日本シリーズで期して欲しいものですね。
次回は第2位の発表です。お楽しみに~
ではまた。